いつだって、人生はものがたり。

あなたの人生、本にしませんか?

方程式なんて大キライな私が、人生の答えを方程式で出してみた

占いが好きすぎる。

細木数子にもハマったし、鬼谷算命学はバイブル本。今は絶賛、しいたけ占いに助けられている。

 

高2のとき、迷わず文系コースを選んだのは数学が苦手なのが理由だったけど、今思えば、方程式で答えを出すよりも、国語や占いみたいによくわからないけど、なんとなく「そんな気がする」答えがすきだからなんだろう。

 

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夫は正反対の理系男子で、マニュアルとか物の位置とか、答えは一つしかない。たった今も、冷蔵庫に半年も放置されている沖縄みやげのラフテーの答えは、「いつか、ふたりで食べる」だったのに、「急に酒のつまみが欲しくなって、食べちゃった!」という私の答えは、あり得なさすぎて、目に涙をためている。

 

私はとにかく決められた答えが大キライだ。「今はこう」であるものは、「わたし風」に変えたい。だけど、そのわたし風を、人にはっきり説明できるほど分析できているわけでもなく、とりあえず、今のままじゃダメな気がする。それくらいだ。それでいい。私にはわかっているから。

 

だから、占いは私の気持ちのように説明がつかないものを、「今週の天秤座はこうです!」とか「今のあなたはこうするといいです!」と、私の代わりに代弁してくれるから好きだ。他にも、たとえばテレビを見ていて、「わたし風」にぴったりな女優さんを見つけると釘付けになる。この世に実在する人間が、私の生きたいように生きている。そうして今度は、「あの人みたいになりたい」と占いと同じくらい、彼女を崇拝するようになる。

 

これは一歩まちがえば宗教である。そんな、いつも定まらなくて、危うい気持ちを持っている私が今ハマっているものは、定められた文字数で、定められた方程式に当てはめて書くことだ。なんとも変な話。

 

もうすぐ深夜1時だというのに、ビール片手にこれを書いている。缶ビールの横には、ストップウォッチ。なるべく手をとめずに勢いで書くほうが良いから。

 

4ヶ月かけてライティングゼミに通った。通信で月2回の講義と毎週2000字の自由課題。最初の一ヶ月半くらいは、内容は理解しているつもりなのに課題で落ちまくった。落とされる理由が理解できなくて、落ち込んだ。

 

どうやら採点者は、私の文章が方程式に当てはまるかどうか見ているようだった。方程式にハマれば、いつだって読む人を楽しませるものが書けるらしい。つまり、方程式にハマらない、おまえの文章はつまらないと。

 

なんだ、それ。そもそも書くなんて、自己流でいいじゃない。それこそ、わたし風を見せつけるときだ。方程式から答えが出せるなんて思えない。けれど、せっかくの授業料がもったいないから、やれるだけやろうと決めた。試行錯誤を2ヶ月くらいやっていたら、ふっとOKがもらえるようになった。どうやらハマってきたようだ。

 

汚いところ、弱さをさらけ出したら、なんだかいいみたい。うん、まぁ気持ちいいじゃん。フシギだ。書けば書くほど、方程式は私の中に染みついた。もう私の中にあるのがわかる。2ヶ月前の私には戻れない。短い間に、そんなところまで来てしまった気がする。

 

方程式を覚えるのも悪くないと思った。なぜなら、一度覚えてしまえばずっと使えるし、良いものなら自分だけじゃなくて、他の人にも使える。

 

これまで、ただなんとなく「変えたい」「なんか違う」「伝わらない」と思っていたことも、はじめて覚えた「書く方程式」を使えば、毎回答えが出る。そして、伝わる。人生はすべて、こうやって方程式に当てはめられるものなのかもしれない。そういえば占いだって、統計学だ。

 

なんだか、今なら、わたし、超難関な数式も解けそうな気がする。

 

 

それは何度でも、目の前にやってくる。

 

書く人になりたいとはじめて思ったのは、たしか大学三年生の頃だった。

 

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就職先も決まっていなくて、自分がなりたいものも自信を持って言えない。当時、一番おなじ時間を過ごしていた友達が半年ぶりくらいにうちに泊まりに来たとき、ひとり言のように、「小説家にでもなろうかなぁ」と言ってみた。背中越しにその声を聞いた友達は、すぐにふり返って、「いいんじゃない!」と答えてくれた。たぶん本気で。

 

うれしかった。私たちは商学部で、小説なんてぜんぜん関係なかった。本すら、読んでいなかったと思う。それくらいとっぴょうしもなくても、ふと思いついただけのことだったのに、それをいいと言ってくれる人がいた。

わたしは、それだけで満足して、そこから先を考えようとはしなかった。考えてもわからなかった。どうやったら小説家になれるかなんて。ただ、書けばいいだけだったのに。

 

あの日からずいぶんと時間が経った。地元の福岡で唯一採用してくれた会社に就職して10年だった。私の就活は、やりたいこともハッキリさせず、企業分析も何もしなかったから、面接では思いつきでそれらしいことを言った。それでも雇ってくれた会社に感謝していた。働いてみたら、とても居心地がいいし、仕事も悪くない。人間関係だって上々。長く働くほど、その気持ちは増した。これでよかったのかも。まちがってなかったのかも。

結婚もした。子どもが産まれて、この子が大きくなって、夫と年をとって、それなりの人生が待っている。道はもう見えた。もうがんばらなくていい。なりたいものがなくたって大丈夫。自分は何者かなんて悩まなくてもいい。それがうれしかった。

 

そのはずだったのに、今、わたしは悩んでいる。

 

「書く人になりたい」

 

3年前、夫のススメで友達を作るために通ったライティング講座にハマッた。小説家になりたい夢なんて忘れていたけれど、なんとなくいいかもと思ったのがライティングだったのは、きっと心のどこかが反応したから。今まで、タバコの煙みたいに口からなんとなく吐き出されては、すぐに消えていった言葉を文字にする。はじめて自分の目で見てみると、なんだかしっくりくる。うとましがられるはずの煙が、文字にすると受け入れられる。どんどん出てくる。気持ちいい。時には、芳しい香りみたいに相手をつつむ。喜んだり、涙ぐんでもらえることもある。こんな快感、はじめてだ。

 

伝えるためには、スキルが必要なんだと教わった。先生はそのスキルを持って、仕事をしていた。かっこいい。私もなりたい。だけど、仕事を辞めたら収入が減る。子どももできたんだし、リスクをとるなんて無謀だよね。そもそも、就職みたいに誰かにやれって言われたワケじゃない。私がそれをやらなくても誰も困らない。10年前のあの日みたいに、やらない言い訳ならありったけ思いつく。

 

やらなくてもいい。でも、やりたいかもしれない。そのハザマでモヤモヤしていた。そんな私を知った先生が、ライター交流会に誘ってくれた。お前なんて、まだまだだよ。何ネボけたこと言ってんだ? そう言われるのがこわくて、直前までモジモジしていたけれど、行ってみた。

 

4人のライターさんがいて、参加者も60人くらいいた。少し遅れたわたしは、一番後ろの席にこっそり座った。マジメなのを想像していたけれど、飲み物ラインナップにお酒が入っているようなノリの良い人たちだった。「おもしろい人が、おもしろい記事を書くんだなぁ」とハイボールの缶を空けながら思った。

 

約1時間を過ぎ、盛り上がりのピークにきたころ一人のライターさんが言った。「紙は制限があるから、おもしろい。ここまでに収めなければいけない。さて、どうしよう。そこから文章が洗練されていく」

 

制限があるからいい。

 

わたしの夢までの制限なら、いくらだってある。それを言い訳にして、辞めることもできる。でも、このライターさんが言うように、もし今のわたしの夢が本の編集だったら? 締め切りがあって、待ってる人がいたら? どんな制限だろうと、できる限りの知恵を絞って、本にするはず。しなきゃいけない。

 

書きたい夢があるなら。どんな制限があっても、一冊の本を書きあげるつもりでやってみよう。ここを削って、改行はここで、うまくつなげて、句読点は読みやすいか考えて……。そうすれば、できあがりは想像しなかったほど洗練されてる。いつかは人生にも終わり(制限)がくる。そのときまでやり続ければいい。今すぐとか、半年後とか、あせらなくていい。私の人生はまだ終わってない。

 

きっとこの夢は、わたしの人生が終わるまで、何度も何度も、こうやって私の目の前に現れる。その時何度も、言い訳して逃げる? ぜったい、またくるよ? 何度でも。あー、こわくなってきた。だけど、夢に向かって進んでいれば、こわくない。いつか終わり(制限)がくる、そのときまで、逃げずにがんばろう。やっとそう思えた。 

 

神戸 #ライター交流会 vol.01 〜関西人魂が世の中を面白くする! | Peatix

 

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

あなたみたいな人になりたい。うっかり送信メールが夢に変わるまで。

 

出会いは偶然だった。暇つぶしに見ていたフェイスブックのタイムラインに出てきた。

 

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たしか、「働く女性を応援します」とか、そんなメッセージだった。仕事の休憩中で、ぼんやり、たぶんだるそうにスマホを見ていた。大学時代の友達から話があると持ちかけられていて、めんどくさいけど返事しないとなと思っていた。返事をするのがイヤだったからなのか、本当にピンときたのか、スクロールする親指がとまった。このまま流してはいけない気がした。数秒後には、はじめて見たその人にメッセージを送ろうとしていた。「はじめまして。メッセージを見てピンと……」いやいや、やめよう。勢いでやることじゃない。キャンセルボタンを押すつもりが、送信。あ……。


 
ごめんなさい。間違えて……の途中で、「はじめまして! ありがとうございます!」と返事がきてしまった。だけど、なんだかホッとした。送りたかったんだと思う。この人と話がしたかったんだと思う。そんな軽い動機をこの人は受け入れてくれた。これが、私とコーチとの出会いだった。


 
それから2ヵ月後、大阪の梅田で会うことになった。当時の私は会社を辞めたいと、毎日そればかり考えていた。理由は、あの人がイヤだ、この人がむかつく、誰も私を認めてくれないと人のせいにして。何でも聞いてくれるというコーチに、ぶちまけようと意気込んでいた。しかも、私のように長く働いて、役職をもらえているようなキャリアのある女性を応援したいと言っていたし。


 
平日に京都から大阪に行くなんて、久しぶりだった。約束は夕方だったけれど、少し早めに家を出た。ホームで電車を待っている間、何気なく見た線路がずっと先まで続いていて、この先に何かが待っているようなワクワク感もあった。数年前にできたばかりの大阪グランフロントの7階が待ち合わせ場所だった。エスカレーターで上がるにつれて人が少なくなってきて、会議に使われるようなところだろうな、とちょっと緊張してきた。


 
指定されたお店に着いた。だけど、閉まっている。するとメッセージがきた。「ごめんなさい! 今日はお店が貸切みたいで! 今どこにいますか? 私はもう着いてます!」え? 私も5分前から着いてるんですけど。きょろきょろ見回すと、向こうからそれらしき人が笑顔で小走りしてくる。写真よりも話しやすそうだった。せっかく選んだお店に入れないなんていうハプニングがあったおかげで、緊張もどこかに消えていた。


 
「ごめんなさいね。どうしよう。この下にカフェがあるんだけど、そこでもいいですか?」ゆっくり話せなさそうだけど、他にお店も知らないから仕方ない。言われるままに着いていく。通されたのは二人がけのテーブルが並んでいる真ん中のあたり。両サイドに人もいる。大丈夫かな。あまり人には聞かれたくないことなんだけど。不安の中、飲み物を注文する。


 
軽く自己紹介のあと、「じゃあ、さっそく始めましょう」はじめてのコーチングが始まった。私はため込んでいた思いを迷いなく話した。「会社がイヤなんです」「そうかぁ、でも、もし会社をやめる以外にもできることがあったとして、そこから考えていきましょうか」え、話したいことと違うんだけど。結局、辞めるのを止められるのか。働く女性を応援するとか言って、結局、後悔させたくないんだよね。


 
「まず、人間関係から整理していきましょう。ここにあみさんの職場があります」A4の真っ白な紙がテーブルの上に置かれる。「思いつく限り、職場の人を置いていってください」今度はふせんとペンが出てくる。職場の配置を説明するの? なんなんだろ。「まずは私がここにいて……」「うんうん」「上司がここにいます。後輩が二人いて、あとちょっと離れたところに人がいて……」「うんうん、この離れた人はどんな感じ?」「どんな感じって……当たり障りのない人です」「うん、わかった。続けましょう」
 


いったい何をしているのかわからない。だけど、名前を書いていると、いろんなエピソードが思い出される。あの時わたし、めっちゃ悔しかったんだよね。でも、後輩がわかってくれたから持ちこたえられた。でも、この人だけは許せない。ひどい。本当はできる人なのに、人の気持ちをわかろうとしない。職場の配置図がほぼできあがりかけた頃、私が一番ネックになっている人の名前を書いた。会社を辞めたい一番の理由。それを話し出すと熱くなってくる。隣で夕食っぽいものを食べている女子たちが、こっちをチラ見してくるけど、どうしても聞いて欲しいから、もう気にしない。


 
気づけば、1時間が経っていた。「できましたね。お疲れさま。さて、もう終盤ですよ。核心に近づいてきています」え、なにが? 「さぁ、あみさん、今作ったものを、くるっとまわしてみてください」「え、こうですか?」私を中心にたくさんの人の名前が書かれた紙を180度、回してみた。すると、一番手前にきたのは、一番ネックのあの人だった。「あみさん、ちょっと考えてみてください。この人から見て、職場やあみさんは、どう見えていますか?」あ……。「めっちゃ離れてる」「そうですね。この人は、どう思っていると思いますか?」「……もっと近づいて欲しい。本音を言って欲しい」なんだか力が抜けた。「そうかもしれませんね。あみさんの感じたようにやってみると何か変わるかもしれませんね」


 
次の日、離れたところにいる、あの人に目をやると、疲れているように見えた。そして、一人ぼっちでさみしそうだった。権力がある人は、何でも好き放題やれていいよな、と思っていたけれど、誰も自分に意見してこないって、たまに不安なのかもしれない。言いたい放題言う人なんだから、こっちも言ってやろう。そう思うと気がラクになった。「もう少しだけ、やってみようかな。それから、また考えよう」コーチから教えられたわけじゃない。自分で出した結論だった。


 
あれから2年。あの結論に後悔はない。もし勢いで辞めていたら、ムカムカは残ったままだった。コーチは私に、アドバイスじゃなくて、自分から逃げないための気持ちをくれた。どうすれば後悔なく、前向きに、私らしく生きられるのか。100%カンペキな人なんていない。わかっているのに求めてしまう。がんばりすぎて、すぐに疲れる私に、今も月に一度、元気をくれる。ネガティブな時があったっていい。どうしてそう思ったの? どうなりたいの?


 
「誰かの人生の道を太くする、きっかけになりたい」今日の私は、力強くそう言った。「いいですね! それ」ありがとう、コーチ。今、気づきました。私の選択肢を広げ、人生の道を太くしてくれたのは、ぜったいにあなたです。あなたみたいに、誰かの可能性を一途に応援できる人になりたいんです、私。見ててください。もうすぐなります。そのとき、あなたの人生の道も太く感じてもらえたら、うれしいな。

 

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がめつく生きろってなんだよ。20年前の先生に言いたいことがある。


「がめつくなれよ、もっと」

 

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はぁ? しかなかった。三者面談で目の前にいる担任の先生の言葉。隣に座っている母も黙っているので、同じ気持ちだろうとチラッと見やると、なんと泣いていた。家に帰ってからも母は、「あの先生だけよ、あんたのこと、わかっとるのは」とまたウルウルしていた。意味がわからない。

「がめつくなれ」とは、標準語風に言えば「積極的に」の意味。もっと汚く言えば、「人を蹴落とすぐらいの気持ちでいけ」学区内で最難関の高校を目指すなら、それくらいの気持ちでいけ、と先生からの激励だった。

 

心を打ち抜かれたのは母だけ。そう言われても、私的には努力しているし、野心だって隠しているだけでけっこうある。敵意をむき出しにするのはかっこ悪いし、能ある鷹は爪を隠すっていうやん。もっと欲望をむき出しにしろとか言われても、高校受験のために生き方のスタンスを変えろってか。

 

モンモンとしている私をよそに、母はすっきり顔。自分の代わりに先生が言ってくれたから大丈夫。そう思っているみたいだった。こっちは全然、納得してないんだよ。いったい、何がいけないのさ、ふん。

学校の先生にそんなことを言われたのは、これが二度目。最初は小学校の卒業式。約30人のクラスで順番に先生から呼ばれて、色紙に書かれた、生徒にぴったりの言葉をもらう。愛とか誠とか、かっこいい言葉をもらってうれしそうに戻ってくる友達を見て、ワクワクしていた。

 

男子と本気で取っ組み合いのケンカをする学校一の熱血先生で、生徒にこびないところが好きだった。やっと名前を呼ばれて前に出る。だけど、そこに書かれていたのは、「自発」の二文字だった。は? なんじゃそれ? もっとカッコいいのないの? 私、けっこう努力するし、成績も悪くないし、クラスのみんなと仲良くできる。もっと他にあるでしょ、ほら、なんていうか……。

「お前はナニもらった?」「オレはこれ!」先生からもらった言葉はゼッケンの背番号みたいで、自分の代名詞のようにみんなうれしそうに話している。だけど、私はその輪の中に入れない。

 

自発? なにそれ? これが私の代名詞? どういう意味? 自分で発する? 何を? バカと書かれた紙を背中に貼られているくらい、はずかしかった。友達の言葉は、その人となりを表しているのに、私のは明らかにお前にはこれが足りないと言われていた。なんで、なんで私だけ。

いったい何なの、先生たちは。私の何を見ているの? 自発。がめつくなれ。どうすればいいの? 人の気持ちなんて無視して、やりたいようにやれってこと? 答えのないまま20年近くが過ぎた。そして、もうそんなことなんて忘れていた。

娘が昼寝をしている間は、撮り溜めているビデオの時間。たまたま付けたのは、職業も性格も違う女子二人が、一週間だけ香港に住んでみるという番組だった。

 

冒頭から胸がぞわっとした。二人で住む部屋、行きたいところ、食べたいもの、撮りたい写真をどんどん言って、どんどん実現していく人と、「特にこだわりないから」と言って流れていくだけの人。テレビなんだし、楽しい! かわいい! おいしい! というのは当たり前で、二人とも満喫しているように見えるのに、決定的に違うことがあった。やりたいことを発言して、自分で実行していく人と、その流れに乗っかっるだけの人。

これまでの私は、誰かが作った波に乗っかって楽しそうに泳いでいるだけの人生だった。だけど、乗りたい波に向かって走ったり、波すらも自分で作る人に猛烈に惹かれた。それこそ、「がめつく」生きていた。傍から見ていて、そっちのほうがゼッタイ楽しそうだった。

先生も私をそんな風に見ていた? もっと自分の気持ちを外に出せ。外に出すことは相手を押し込めることじゃない。自分の人生、限りある時間をどう使うか、自分で舵を取ってごらん。舵を取るのは「こうなりたい」っていう夢があるから。「こうしたほうがいいのかな」じゃなくて、「こうなる」それさえあれば、もっと楽しくなるよ。お前にはそれができる。先生はそう言ってたのか……。

舵を取るのが怖かった。人の思うように生きないと自分には何もないから、とりあえずめちゃくちゃ努力して、人の望むように、はみださない程度にやればいい。そうすれば、傷つかないから。傷つきたくない。私、ずっとそう思ってた。だから、気持ちを隠してきた。だけど、傷つかないように生きても何も楽しくない。楽しく生きていない人を見ると、なんか悲しくなる。これじゃ、ダメだよなって思う。私、もしかしたら、そんな人だったのかも。なんか、めっちゃくやしい。

人生にがめつくなれ。楽しむことにがめつくなれ。先生、やっとわかったかもしれない。私、見つけたかもしれない。今、こうやって書いているのは、自分で発するってことですよね? どこかで見ててくださいよ! 遅くなったけど、今からゼッタイがめつく生きてやるから!


がめつく生きろってなんだよ。20年前の先生に言いたいことがある《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店

娘よ、年齢に自由であれ、選択に幸せであれ!

 

特別お題「『選択』と『年齢』」

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理想の30歳は、母だった。

 

結婚して、専業主婦になって、子どもが二人くらいいて、それなりの生活をしている。ほわーんとではあるが、日曜日の朝に母が焼いてくれた、ふわふわのパンケーキのように甘くて、やわらかくて、幸せな感じ。

 

きっと、どうやったって、そうなるだろうと思ってた。だけど、現実の30歳はまったく違ってた。まず、結婚していない。予定もない。だから、専業主婦でもないし、子どももいない。その代わり、仕事には部下がいて、満足いくテリトリーは任せてもらえるようになった。実家暮らしだから、お金もある。旅行だって行ける。

 

さて、あの頃、一緒に旅をする彼氏はいただろうか。あぁ、いなかった。1年前くらいに別れた。3年くらいダラダラ付き合って、もうやめたほうがいいんだろうなとはじめて思って別れた。家に帰ったり、帰らなかったりを繰り返していたのに、何も言わなかった父に、別れたときだけ報告した。母がそうしなさいと言ったから。

 

30歳までもうすぐの娘が泣きながら、男と別れた報告をするなんて、今思っても、父はどんな気持ちだっただろうとむなしくなる。父がひと言だけ言ったのは、「相手がよりを戻したいと言っても許さない」と。それはきっと、「お前、ここまでしたんだから、もう振り返るなよ」とわたしへのメッセージだったのだろう。結局、相手から戻りたいなんてことはひと言もなく、私が想うほど、相手は想っていなかったんだと、その時はじめて気づくのだった。

 

母が30歳のときは、もう私も弟もいて、その2年後に妹が生まれる。「あの頃のことは覚えていない、毎日、無我夢中だった」と母は幸せそうに言う。大学生になる頃はまだ私も、母と同じように学生のときに彼氏ができて、そのまま結婚するんだろうなと夢を見ていた。まさか彼氏すらできず、30歳になっても男とうまく別れることすらできない女になっているなんて、想像もしなかったし、なりたくもなかった。なのに、そうなっちゃってる。

 

いったい何がいけないの? まじめに生きてきて、人を好きになっただけなのに、どうしてこんなに、むなしくならなきゃいけないの? 幸せのパンケーキを切望しているくせに、そこにたどり着くまでの道を探そうとはしなかった。まあ、いつか何かのタイミングでやってくるだろう。ちょっと道に迷っているだけ。パンケーキに足がついていて、私を探すのに手間どっている。泣いた3日後には、そんな風に思っていた。

 

それから後、これで決める! と思える人を友達に紹介してもらったけれど半年でダメになり、父よりも年上の相手とお見合い話がきたりした。お見合いの後、三件目の誘いを断り、帰る夜道が真っ暗で、「なにやってんだろ、私」と未来さえ、真っ暗になった。

 

30歳になれば、なんとなく思い描く幸せが待っているはずだったのに、それは母がたどってきた道のただの回想シーンで、私の道はまったく別にあった。最初から全然ちがうところを歩いていて、ゴールも違うのかもしれない。やっとそう思えた。そして私は家を出た。32歳だった。

 

ぼんやり見えていたはずの道は、はじめからなかった。どこに行くかわからないけれど、今、自分が立っている場所から新しく道を作ってみたら、思った以上に楽しくやれた。そこから1年でパンケーキ屋にたどり着いた。本当なら、母と同じ23歳でたどり着くはずだったゴール。結婚はゴールじゃないって友達に言われたけれど、私にとってはゴールだった。母のゴールではない、自分のゴールを決められたことが本当にうれしかった。

 

母とおなじ23歳で結婚のつもりが、32歳になった。

母とおなじ24歳で出産のつもりが、36歳になった。

 

それでも私は後悔してない。半分以上、強がりで、後悔したってどうにもならないから、そう言ってるだけ。だけど、今、横で寝ている0歳の娘が30歳になるまでに、ひとつだけはっきり教えられることがある。30年後はAIとか、地球環境とか、ものすごく変わっているんだろうけど、結婚、出産のような女性の悩みはそんなに変わってない気がする。なぜなら、一番身近にいる女性のお母さんがお手本になるから。お母さんと同じくらい幸せに、お母さんと同じような道を、逆にお母さんみたいにならないようにと、お母さん基準で考えてしまうから。

 

だけど、それは違う。けっこう回り道して、泣いて、傷つけて、はずかしくて、親に迷惑かけてからわかったことは、幸せになるのはお母さんじゃなくて、私だったってこと。私が幸せになったら、お母さんも幸せだったってこと。「お母さんのこと、大好きなのはすごくうれしいけど、どの道を選んでゴールにたどり着くかは、自分で決めていいんだよ。お母さんの年なんて気にしなくていいんだよ」娘には、これだけを伝えたいなぁと、パンケーキの味もまだ知らないわが子の横で思うのでした。

 

 

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#年齢ってなんだろう

#期限なんてない

#sk2_pr 

 

 

 

 

 

本当のことは誰も言ってくれない。好きだけじゃダメなのね。

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こんなはずじゃなかった……。

正直な気持ち。でも誰にも言えない。だって、望んで、望んで、病院にも通って産まれてきた子だもん。

「お母さんしかダメな時期がくるよ。きついよー」
「マジで何もできんよ」

育児には覚悟が必要だ。産んでからが大変だ。先輩ママたちのアドバイスは嘘だとは思わなかったけど、自分には半分くらいしか関係ないと思ってた。むしろ、そういうママたちを覚めた目で見ていた。だって、わたし、子ども大好きだし。

 

大変なのはわかる。でも、それなりの覚悟はある。仕事を休んで、念願の専業主婦にもなれるし。ありがとう! 赤ちゃん! まあるく張ったおなかをさすりながら、私だけは大丈夫、そう思っていた。いざとなれば、助けてくれる人はいるんだし。家族だけでなく、通りすがりの人にまでいたわってもらえる日々がこのまま続くと思っていた。

それは完全に気のせいだった。気遣ってもらえるのは妊婦のときだけ。思えば、あの頃が一番幸せだった。産んでからが大変なのに、誰も手伝ってくれない。お母さんしかダメなのはわかったけど、私じゃなくてもやれることすら、ぜんぶ私がやらないといけない。専業主婦だから。腕がイタイ。肩がイタイ。腰がイタイ。ついに膝まできた。それなのに、娘はどんどん重くなる。そして、どんどん私を求める。助けを求めるのは、あの時の自分に負けるみたいでイヤだった。

あー、マジでこんなはずじゃなかった。オムツのCMで見るような、幸せにあふれた母と子の笑顔なんて、どこにもない。真っ白でキレイなリビングもない。窓から光が差し込んで、風にカーテンがゆれる、さわやかな空気なんて、ない! 

 

髪ボサボサ、肌ガサガサ、めがね跡くっきり。娘の顔はよだれでドロドロ、服は汚れっぱなし。リビングの床はベタベタ。ずっと引きこもっているから、部屋の空気は重苦しい。こんな生活だなんて、誰も言ってくれなかったよね? もしかして、私だけなの? どんどん追い込まれる。

それでも娘は毎日成長する。こんなにボロボロの私でも、母だと認めてくれる。生まれてすぐの頃に比べたら、ごはんも食べられるようになった。病気を怖がり過ぎなくてもよくなった。あやせば、泣き止むようになった。一日一日は大変だけど、一ヶ月前と比べたら、楽になったこともある。

 

もう少しがんばれば、歩けるようになれば、もっとラクになる。そう言い聞かせていたのに、娘が歩き始める一歳まで、あと三ヶ月を切った頃、三人の子どもを育てる友達から応援メッセージと一緒にとどめの一発がきた。「そのうち、抱っこひも、ベビーカーも拒否、昼寝なしのハードな時期がやってくるよ。子育て、大変だけどがんばろうね!」

えーーー! なんだとーーー! 聞いてない! なんでそんなことになるの? ってか、本当に聞いてないしね! 「大変だよ」なんて、ふんわりした言葉じゃわからない。一人の時間がないことの辛さ、集中していることを突然やめされられることのイライラ、会話にならないもどかしさ。その人の相手を一日最低でも12時間、たった一人でするなんて、これはいったい、なんの修行? 私は修行するために子どもを産んだんじゃない。かわいい我が子が家族になったら、もっと幸せになれる。そう思っただけ。それだけじゃダメなの? 好きだけじゃダメだったの?

「やっとわかったね……」どこからか声がした。それはまだ私が子育てを夢見ていた頃、アドバイスしてくれたお母さんたちの声。「ついに、こっちの世界の辛さがわかったね。」暗闇から目だけを光らせて、こっちを見てる。「だから言ったでしょ」外の世界では決して見られない顔。外のお母さんはみんな、CMに出てくるような笑顔で子どもと遊んでる。だけど、家に帰ればそこは戦場と化す。

「幸せ? そんなの当たり前。だけど、それだけじゃない。人生なんて、そういうもの」私は愕然とする。本当の、本当のことは誰も言ってくれない。だって、いくら言ってもわかりっこない。自分がそうだった。いろんな人に、いろんなアドバイスをもらったけど、心に響いたものはひとつもなかった。むしろ、うとましく思うこともあった。

「そういうことか……」一人、納得する。好きだけじゃプロにはなれない、好きだけじゃ結婚できない、好きだけじゃ子育てはできない。これまでは、なんとなくわかるようで、納得できない言葉だった。今ならわかる。何かを始めるときは、覚悟が必要なんだ。

 

壁にぶち当たっても、こんなはずじゃないことが起きても、光が見えるまで、どうにかやりぬく覚悟。壁はきっと乗り越えられる。そのための心の準備はできても、回避はできない。でも逃げて欲しくない。その先には先輩たちがたどり着いた、光あふれる景色が待っているから。

 

だから私も「子育てって、どうですか?」とキラキラした目で聞かれたら、笑顔でこう言う。「やっぱり子どもはかわいいよ。でも、それだけじゃないけどね……」がんばって! の言葉は飲み込んで。



本当のことは誰も言ってくれない。好きだけじゃダメなのね。《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店

やっと開放されたと思ったのが間違いでした。社会で生きぬくことを思い知らされた日


「ダメ!」ハイハイする娘の前に立ちはだかり、にらみつける男の子。言葉がわからない娘は、きょとんと見上げるだけで動こうとしない。私は「ごめんね!」と言って、さっと娘を抱き上げた。

 

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ここはイオンモールの子ども遊びスペース。抱き上げた娘の下には、丸くかたどられたクッションのようなものがあって、それが飛び石のよう八つくらい並んでいる。

 

歩ける子どもたちは、ぴょんぴょん飛んで遊ぶ。ハイハイまでの子どもたちは、その丸をめがけて一目散に進んでいく。横から足が飛んでくるなんてわかっていない。もちろん、ジャマするつもりもない。だけど、せっかく遊んでいたのに道をさえぎられた男の子は怒って、娘をにらみつけて「ダメ!」と言った。


にらまれた本人は何もわかっていないのに、その一部始終を見ていた私がなぜか、ものすごく傷ついた。そんなに言わなくてもいいやん! まだ赤ちゃんなんやから! 男の子にそういってやりたい気持ちを抑えながら、あぁ、こういうことか……と思った。ここは子どもスペースなんかじゃない。社会だ。

 

自分よりも年上の人たちが、共有スペースを我が物顔で占領していて、何もわからず飛び込んだ新人に「こら! ルールを無視するな!」と怒る。10ヶ月の育休で忘れていたけれど、職場でよくある光景だった。


家で二人きりで過ごしていれば、こんなこともない。だけど、ずっと二人きりの世界に娘を閉じ込めておくこともできない。秋に生まれた娘。冬を越せば、春になればと外の世界に出るのを先送りにしてきたけれど、もう夏になってしまった。


外の世界がおっくうなのは、もうひとつ理由があった。「寝返りは?」「歯は生えた?」「9キロ? 大きいね」自分の子の成長を、他人のモノサシで早い遅い、大きい小さいなどと簡単に判断されるのがイヤだった。

 

男の子の「ダメ!」は、「お前の育て方がダメ!」と言われたみたいで、10分たっても消えることはなかった。娘をにらみつけた、あの目が忘れられない。こんなことなら、ここに来るのはやめよう。やっぱり歩けるようになってからにしよう。娘が動き回らないように腰を持ったまま座らせ、走る子どもたちをぼーっと眺めていた。


すると、ピンクのワンピースを着たショートカットの女の子が近づいてきた。娘が私にしがみついてきた。ぎゅっと抱きしめる。「……赤ちゃん?」娘をじっと見て言うその子に「赤ちゃんだよ」と答えると、右手をそっと出して娘の頭を優しくなで、「かわいい」と言った。

 

涙が出そうだった。娘も怖がっていなかった。女の子のほうに向きなおさせると、娘の目線までしゃがんで、その小さい手で顔を隠し、「いない、いない、ばぁ」とした。娘がにこっと笑った。「何才?」女の子が私に聞く。親指と人差し指で丸を作り、「ゼロ才だよ、ゼロ」と言うと、「そうかぁ、ゼロ才かぁ。ミウはね、三才」と答える。「三才かぁ、もうお姉さんだね」


子どもと話してる感じじゃなかった。フツーの会話ができた。それだけでうれしかった。優しいお姉さんが孤独な新人たちを助けてくれた。こんな社会なら、もう少しがんばれそう。そう思ったのもつかの間、ミウちゃんが「遊ぼう」と投げてくれたボールを女の子がさっと奪い取った。

 

ミウちゃんは、あ!と言って、女の子を指差し、私のほうを見た。え! 私に助けを求めている? ボールを取った女の子を見つめていると、女の子はボールを投げ返し逃げていった。あー、よかった。ほっとしていると、小さいうちわが落ちているのに気づいた。さっきの子が落としていったものだ。それをミウちゃんが拾う。


「わーん!」離れたところから大きな泣き声。走り去った女の子が、お母さんにしがみついて泣いている。うちわを取られたと母親に泣きついているようだ。どうしよう。傍から見たら、ミウちゃんは私の子だった。私は必死でミウちゃんに、「それ誰の?」と聞く。「落としていったの」と答えるミウちゃんにすかさず、「あの子のじゃない?」と指差す。かしこいミウちゃんは、走ってうちわを返しに行く。だけど、女の子は受け取らない。母親も困り顔。

 

しばらく様子を見守っていたが、どうやらうちわのせいで泣いてるようではなさそうだ。私はミウちゃんに、もう戻っておいでと言いたかったが、10メートルくらい離れている。しかも、私の子ではない。


するとそこへ、さっきよりも大きな声で泣き叫ぶ声。母親に抱きかかえられながら、ジタバタする女の子。「あんたが悪い! あやまりなさい!」どうやら、うちわは関係なく、その二人のけんかだったようだ。ごめん、ミウちゃん、もう戻っておいで。娘と静かに遊ぼうよ。念じたけれど届かず、そのうち娘がぐずりだした。何度かあやしたけれどダメで、仕方なくベビーカーに乗せていると、ミウちゃんが滑り台のほうに走っていくのが見えた。私たちのことはもう忘れているようで、悲しかった。後ろ髪を引かれながら、私は家に帰った。


二人きりの静かなリビングに戻っても、私の興奮は消えていなかった。たった20分くらいのことだったのに、私は社会の荒波にまた戻ってきたことを思い知らされた。何でも独り占めしたい男の子、みんなに優しくできるミウちゃん、親に怒られても謝らない女の子。人間関係のど真ん中にいた。とても疲れた。36年生きてきて、だいぶラクになったと思っていたのに、娘とまたゼロからのスタートなんだ。

 

だけど、めげてる場合じゃない、そして勘違いしてもいけない。これは私ではなく、娘の人生だ。一緒にがんばろう。乗り越えよう。生きている限り、社会からは逃れられないと思い知らされた日だった。まずはミウちゃんと友達になりたいな。仲間を作らなければ。

 

やっと開放されたと思ったのが、間違いでした。社会で生き抜くことを思い知らされた日 | 天狼院書店